伊藤 之雄のホームページ

研究論文

「元老の形成と変遷に関する若干の考察」(『史林』60巻2号,1977年3月)
「『ファシズム』期の選挙法改正問題」(『日本史研究』212号,1980年4月)
「一九二〇年代中・後期の地方都市民衆運動」(『史林』63巻5号,1980年9月)
「名望家秩序の改造と青年党」(『日本史研究』241号,1982年9月)
「高橋内閣改造問題の考察」(『ヒストリア』98号,1983年3月)
「原内閣と山県系官僚」(『史林』66巻4号,1983年7月)
「護憲三派内閣への政治過程」(『日本史研究』259号,1984年3月)
「地方政治構造の変様」(日本現代史研究会編『一九二〇年代の日本政治』,大月書店,1984年5月)
「護憲三派内閣の形成と展開」(『年報・近代日本研究-6・1984・政党内閣の成立と崩壊』,山川出版社,1984年10月)
「政党政治の定着」(坂野潤治他編『日本近代史における転換期の研究』,山川出版社,1985年6月)
「都市と政党」(『ヒストリア』129号,1990年12月)
「立憲政友会創立期の議会」(古屋哲夫他編『日本議会史録』第1巻,第一法規出版社,1991年2月)
「第一議会期の自由党」(『名古屋大学文学部研究論集・史学37』,1991年3月)
「日本政党政治研究の課題」(『日本史研究』345号,1991年5月)
「初期議会期の自由党」(山本四郎編『近代日本の政党と官僚』,東京創元社,1991年11月)
「自由党・政友会系基盤の変容」(山本四郎編『近代日本の政党と官僚』,東京創元社,1991年11月)
「第二次伊藤内閣期の政党と藩閥官僚」(『名古屋大学文学部研究論集・史学38』,1992年3月)
「日清戦後の自由党の改革と星亨」(『名古屋大学文学部研究論集・史学39』,1993年3月)
「元老制度再考」(『史林』77巻1号,1994年1月)
「日清戦前の中国・朝鮮認識の形成と外交論」(古屋哲夫編『近代日本のアジア認識』,京都大学人文科学研究所,1994年3月)
「日清戦争以降の中国・朝鮮認識と外交論」(『名古屋大学文学部研究論集・史学40』,1994年3月)
「桂園体制形成期の政友会の組織改革と原敬」(上横手雅敬監修,井上満郎・杉橋隆夫編『古代・中世の政治と文化』,思文閣出版,1994年4月)
「初期政友会の政策と組織の確立」(『法学論叢』136巻4・5・6号,1995年3月)
「日露戦争前の憲政本党」(朝尾直弘教授退官事業会編『日本国家の史的特質』近世・近代,思文閣,1995年4月)
「日露戦争と桂園体制の形成」(『法学論叢』138巻4・5・6号,1996年3月)
「日露戦争への政治過程」(山本四郎編『日本近代国家の形成と展開』吉川弘文館,1996年10月)
「山県系官僚閥と天皇・元老・宮中─近代君主制の日英比較─」(『法学論叢』140巻1・2号,1996年11月)
「第一次大戦と戦後日本の形成─立憲政友会の動向─」(『法学論叢』140巻3・4号,1997年1月)
「原敬内閣と立憲君主制─近代君主制の日英比較─」(一)~(四)(『法学論叢』143巻4号・5号・6号、144巻1号、1998年7月、8月、9月、10月)
「日露戦争以前の中国・朝鮮認識と外交論」(京都大学法学部創立百周年記念論文集刊行委員会『京都大学法学部創立百周年記念論文集』第一巻,有斐閣,1999年)
「立憲君主制の形成と展開」(伊藤之雄・川田稔編『環太平洋の国際秩序の模索と日本─第一次世界大戦後から五五年体制成立─』山川出版社,1999年11月)
「田中義一内閣と立憲君主制の混迷―昭和天皇をめぐる政治とイメージ―」(『法学論叢』148巻3・4号、2001年1月)
「浜口雄幸内閣と立憲君主制の動揺―昭和天皇をめぐる政治とイメージ―」(一)~(五)(『法学論叢』149巻6号、150巻1・2・4・6号、2001年9月、10月、11月、2002年1月、3月)
「大正政変とアメリカ―桂太郎と立憲同志会への道」(川田稔・伊藤之雄編『二十世紀日米関係と東アジア』風媒社、2002年4月)
「立憲君主制の空洞化と満州事件への道―第二次若槻内閣と昭和天皇をめぐる政治」(『法学論叢』152巻5・6号、2003年3月)
「近代日本の議会制の発展と立憲君主制の形成」(『比較法史研究』11号、2003年3月)
「近代日本の君主制の形成と朝鮮―韓国皇帝・皇族等の日本帝国への包摂―」(『法学論叢』154巻4・5・6号、2004年3月)
「昭和天皇と立憲君主制―近代日本の政治慣行と天皇の決断―」(伊藤之雄・川田稔編『二〇世紀日本の天皇と君主制―国際比較の視点から 1867~1947―』吉川弘文館、2004年3月)
「東久邇宮稔彦王の迷走と宮中・陸軍―宮中某重大事件後の皇族と宮中政治・1922~1926―」(『法学論叢』156巻3・4号、2005年1月)
「日露戦争と日本外交」(防衛庁防衛研究所編『2004年度戦争史研究国際フォーラム報告書』防衛庁防衛研究所、2005年3月)
「日露戦争と明治天皇」(日露戦争研究会編『日露戦争研究の新視点』成文社、2005年5月)
「韓国と伊藤博文」(『日本文化研究』17輯、2006年1月〔韓国〕)
「都市経営と京都市の改造事業の形成―1895~1907―」(伊藤之雄編『近代京都の改造―都市経営の起源 1850~1918―』ミネルヴァ書房、2006年4月)
「東久邇宮稔彦王の復活と宮中・陸軍―皇族と満州事変への道・1927~1932―」(一)~(四)(『法学論叢』159巻1・3・4・5号、2006年4月、6月、7月、8月)
「近代日本の君主制研究展望―河西秀哉氏の拙著書評に答えつつ―」(『史林』90巻2号、2007年3月)
「日露戦後の都市改造事業の展開―京都市の都市経営・1907~1911―」(『法学論叢』160巻5・6号、2007年3月)
「東アジアの形成と明治天皇」(伊藤之雄・川田稔編『20世紀日本と東アジアの形成―1867~2006―』ミネルヴァ書房、2007年5月)
「京都御所・御苑空間と近代日本の天皇制」(上)・(中)・(下)(『京都市政史編さん通信』27号・28号・29号、2006年12月、2007年4月、8月)
「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(『歴史学研究』831号、2007年9月)
「昭和天皇・元老・宮中勢力の情報ネットワークと政治」(猪木武徳編『戦間期日本の社会集団とネットワーク』NTT出版、2008年3月)
「伊藤博文の韓国統治と韓国併合―ハーグ密使事件以降―」(『法学論叢』164巻1~6合併号、2009年3月)
「伊藤博文の韓国統治―ハーグ密使事件以前―」(伊藤之雄・李盛煥編『伊藤博文と韓国統治』ミネルヴァ書房、2009年6月)
「第一次世界大戦後の都市計画事業の形成―京都市を事例に・1918~1919―」(『法学論叢』166巻6号、2010年3月)
「若き原敬の動向と国家観・自由民権観―郵便報知新聞記者の明治十四年政変―」(『法学論叢』170巻4・5・6号、2012年3月)
「若き原敬の国制観・外交観―『大東日報』主筆の壬午事変―」(曽我部真裕・赤坂幸一編、大石眞先生還暦記念『憲法改革の理念と展開』下巻、2012年3月、信山社)
「第一次世界大戦後の都市計画事業と景観問題の登場―京都市を事例に・1920年の転換」(『法学論叢』171巻1号・2号・3号、2012年4月、5月、6月)
「京都市都市計画事業の一九二一年前半―河原町通拡築か木屋町通か」(上)・(下)(『京都市政史編さん通信』43号・44号、2012年9月、12月)
「大正デモクラシーと都市計画事業の確定―京都市を事例に・1921年後半~1922年前半」(『法学論叢』172巻4・5・6号、2013年3月)
「伊藤博文の『メモ』は真筆の『メモ』の翻刻だ―水野直樹氏の所説への反論」(『日本史研究』611号、2013年7月)
「原敬の政党政治―イギリス風立憲君主制と戦後経営」(伊藤之雄編『原敬と政党政治の確立』、千倉書房、2014年7月)
「原敬と選挙区盛岡市・岩手県―国際環境に適応する新しい秩序観と体系的鉄道政策」(伊藤之雄編『原敬と政党政治の確立』、千倉書房、2014年7月)
「都市計画事業の思想と展開―都市研究会・内務省と京都市 1919年~1922年」(『法学論叢』176巻2・3号、2014年12月)
「戦後不況と都市計画事業のゆらぎ―京都市の事例・一九二二年の事業延期論と運動」(『京都市政史編さん通信』48号、2015年1月)
「関東大震災と都市計画事業―都市研究会・内務省と京都市 1923年~1924年春」(『法学論叢』176巻5・6号、2015年3月)
「大隈重信と木戸孝允・木戸派」(『法学論叢』180巻5・6号、2017年3月)
「大隈重信と征韓論政変―政変再考」(『法学論叢』181巻1号・2号、2017年4月、5月)
「第Ⅱ部リーダーシップを見る視点・総論」(伊藤之雄・中西寛編『日本政治史の中のリーダーたち―明治維新から敗戦後の秩序変容まで』京都大学学術出版会、2018年3月)
「『原敬関係文書』の発見と意義」〔特集 戦後歴史学の著作を読む(4)〕(『日本史研究』2018年6月)
「青年明治天皇の意思・決断と権力―征韓論政変から西南戦争」(『神園』2018年11月)
「日本の近代化と公共性・天皇制―1853~2019年」(瀧井一博編著『「明治」という遺産―近代日本をめぐる比較文明史』ミネルヴァ書房、2020年10月)